横川駅と峠の釜めしと30年かけた父親との和解
こんばんは。
ゴルゴ103でございます。
今日はなんとなく昔の思い出と忘れられない風景を。
群馬県安中市にある横川駅ってご存知ですか?
今は車社会になってしまいましたから。
高速道路の上信越道の横川サービスエリアの付近のことですね。
まあ、サービスエリアはだいぶ上の方にあるんですけど。
今は、高崎駅から出てる電車も。
横川駅で終点なのかな。
昔ね「L特急」と言う電車が走ってたんです。
日本中をね。
私は千葉県の人間ですから。
しかも、常磐線沿線。
私にとっての東京の起点は「上野」になるんです。
北日本の人にとっての起点の駅ですね。
今は東京駅と繋がってますから。
昔ほどの思いと重要さは、無くなってますけど。
私の父親方の家系のルーツが、長野県の松本市にありまして。
私の本名の名字。
この名前の98%が、その松本にルーツがあるんですね。
その名字の方の先祖は、ほぼ松本から出てるってことです。
確かに私も、20歳まで、父親の本籍地を引き継いでいて。
調べましたら、松本市北深志ってところにありました。
松本駅から松本城の間にありましたね。
それで、私の父親の母親、ようはばあちゃんですね。
そのばあちゃんが、上田市出身なんです。
そう言うこともあって。
私の小学生までは、夏休みは必ず、上田に行くんですね。
そのときに乗る電車がL特急の「あさま」。
この特急に乗れるのが毎年楽しみで。
上野駅を出発すると。
大宮駅→熊谷駅→高崎駅と止まりまして。
その高崎駅でL特急「とき」なんかと別れまして。
「あさま」は信越本線に入ります。
ちなみに、金沢駅まで行くL特急「白山」も、同じ路線です。
そして、安中駅→横川駅と止まります。
それで、必ずこの「横川駅」で、待ち時間があるんですね。
何故かと言うと。
この先、軽井沢駅に向かって行くのですが。
険しくて有名な「碓氷峠」を越えて行くわけです。
その急勾配を、まだ1970年代のL特急では、単独で登れないんです。
この峠越えのために、「あさま」は8輌編成と言う、短い編成に元からしてありまして。
そのために、食堂車やビュッフェすら付いていなかったんです。
それで、横川駅で力の強いディーゼル車両を連結して、登って行くんです。
そのために、必ず待ち時間があるわけです。
それで、その待ち時間に、食事をしていただこうと、売られていたのが、
おぎのやの「峠の釜めし」なんですね。
私の小学低学年の頃はまだ、売り子さんが肩紐で棚を持ち、釜飯を売ってました。
高学年になってからですかね。
客が降りて、改札出入口横の売店で買うようになりました。
本当に忘れられない光景で。
今でもはっきりと覚えています。
まあ、当時の小学生の私には、釜飯は美味しいもんじゃなくて。
「唐揚げ弁当にしてくれよ」と、思ってましたけどね。
(笑)
でも、このおぎのやの「峠の釜めし」。
大人になってから食べると絶品ですよ。
一切海の幸が入っていない、山の幸だけの釜飯。
今は、海の幸が入っている、少し値段が高いのも売ってますけど。
そこは是非、どノーマルのやつを食べていただきたい。
もう、幸せになれます。
大好きです、私。
ちなみに、釜飯に付く「わさび漬け」。
横川駅前のおぎのやの反対側に、それを作ってるお店がありますよ。
見ただけで買ってしまう、あの缶入りのわさび漬けが買えますよ。
時はくだり。
私、中学2年生。
14歳になってすぐですね。
2月に父親が亡くなりました。
享年45歳。
もう、そこからの私は諦めの連続で。
歳の離れた弟と妹もいましたし。
母子家庭であり、極貧な生活。
中学3年生の夏に1人で、川越にある、父親が入ってる墓に墓参りをしたのが最後。
それっきり、二度と墓参りすらしなくなります。
それからはずっと、父親を恨んでました。
父親さえ死ななければ。
もっとこう出来たのに。
違う人生を歩めたのに。
そう考えていました。
もう、20代後半からは。
父親を思い出すことすら、しなくなりました。
頑なに、一切、墓参りもすることなく。
更に時がくだり。
私、44歳。
離婚をして10年以上経ち。
45歳を前に病気になります。
一時は、余命宣告すらされました。
病院のベッドの上で、毎日、夢にうなされます。
「お前は45歳を超えられないよ」
そう、誰かが語りかけます。
「そうか、俺は45歳を、父親の歳を超えられないんだな」
そう思ってました。
そこからなんとか生還。
45歳になり。
ある日、ふと、「榛名神社に行きたいな」と思いましてね。
休みの日に、車で出かけて行きます。
離婚して独りになってから。
日本全国を旅行して周ってたんですが。
「榛名神社」には行ってなくて。
途中、水沢で「水沢うどん」を食い。
念願の「榛名神社」を参拝し。
さて、どうするか、と。
あゝ!そうだ!
横川行くべ!
釜飯買って帰ろう!
それまでも何度も、旅行帰りに。
高速道路で横川サービスエリアに寄っては。
釜飯をその場で食べたり、土産に買ったりしてて。
何度も食べてはいたんです。
ただ、それまで一度も、下道で行ったことがなく。
横川駅すら忘れてました。
横川駅に着いて、駅横の駐車場に車を停めて。
外に出て、景色を見たら。
もう動けないんです。
40年経つのに、全く変わらない、山の風景。
昔、横川駅で待ち時間に見た、風景と全く一緒。
1時間以上、茫然と立ち尽くしてました。
もう、何故か、ふらふら。
何とか車に乗り込み、目の前の、おぎのや本店のドライブインに、車を移動します。
店内に入り、釜飯を頼みます。
平日の昼間ですから。
客も誰もいません。
節電で、店内の電気をほとんど消してますから。
私の座っているところ以外、暗い広い店内。
釜飯が来ました。
食べます。
その途端、涙がぼろぼろと溢れてきて。
止まりません。
嗚咽までする始末。
店の人に声をかけられました。
「どうかしましたか?大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
「ありがとうございます」
「気にしないでください」
「大丈夫ですから」
そう答えて。
何とか、食べきり。
外に出て、また車を駅横の駐車場に移動して。
駅に行き。
駅員さんに「駅に入りたいから、入場券買ってもいいですか?」
と聞き。
切符を買って入場し。
ホームのベンチに1人で座り。
そこから風景を眺めていると。
また溢れてくる涙。
私、独りで呟いていました。
「分かったよオヤジ」
「今分かった」
「今やっとはっきりと思い出した」
「俺はあんたの事が好きだったよ」
「大好きだった」
「今まですまなかったなオヤジ」
このとき初めて、父親が死んで30年以上経って初めて。
私は父親と和解出来たのでした。
あまりに長いことベンチに座ってましたので。
駅員さんに声をかけられました。
「大丈夫ですか?」
そのあと、こう言われました。
「この駅にはあなたみたいな昔の思いを寄せて、来られる方が沢山います。
その方々の中でも、あなたは若い。
これからも頑張って生きていきましょう。」
その日を境に私は。
父親とばあちゃんが入っている墓を、
自分が面倒見ることにしました。
どんどん亡くなる叔父や叔母。
代もかわり、自分の代になり。
その中でも一番歳上で、筆頭の私は。
弟妹、親戚連中の歳下の子らに任せることなく、今、自分で世話してます。
私にとって、横川駅と峠の釜めしは。
昔の人が故郷に想いを寄せるのと同じく。
その先に、電車が走って行くことはなくなりましたけれど。
見えない線路が通っているのです。
それは、30年以上も空いてしまった、自分の子供の頃と、今現在を繋ぐもの。
どうしても納得出来なかった父親を。
父親の死を。
30年以上かけて、やっと受け入れ。
和解出来た場所なのです。
今日はこの辺りで。
ありがとうございました。
ではまた、次回。