ゴルゴおじさんの独り言

50歳の方が昔を懐かしむためのブログ

内緒でお願いします

こんばんは。

ゴルゴ103でございます。

今日はセンチュリー21のラスト。

私のエピソード編。


全4回にも渡り、センチュリー21を紹介してまいりました。

今日は、私が何故、「世界全滅打法」をやったことがあるのか。

そのお話です。

随分と前のお話ですので。

良く思い出しながら書いてはおりますが。

うろ覚えのところも多々あり。

多少の時系列が間違っている可能性があります。

その部分は大目にみてください。


ときは1989年(平成元年)4月。

私、19歳。

美容専門学校を卒業し、地元の美容院に就職。

インターンとして働き始めました。

その時を同じにして、センチュリー21が導入されまして。

仕事帰り、休日と、基本的にはパチンコ、たまにパチスロと、打ちまくっておりました。

当時の美容院は、基本的に火曜日休みが普通でして。

私の高校までの友人はみな、大学生。

仕事してる人は、日曜日休み。

誰とも休みが合わないんですね。

休みが合うのは、同じ美容師のみ。

だから、1人で過ごすために、パチンコ屋に出入りする日々でした。


このセンチュリー21は、本当に楽しくて。よく打ちました。


そうやって1年以上過ぎた、1990年

(平成2年)の夏頃。

私、20歳。

私、支店の店長になった時なんで。

この辺りの時系列はあってるな。

いつものようにセンチュリー21を楽しんでいました。

パチンコもやるし、他のスロットも打つんですけどね。

その頃から、ある人に気づきます。

年齢は、私より10歳くらい上。

30歳前後の方でしょうか。

いつも、センチュリー21で出してます。

見るからに、プロっぽい方。

「この人すげぇなぁ」と思ってました。


でも、私、気づいてました。

ものすごく速くこなしていたし、わからないようにやっているのですが。

その方。


私、動体視力が抜群に良くて。

しかも、視野が普通の人より、かなり広いので。

近眼ですけどね。

眼鏡かコンタクトレンズをしてるので。影響はありません。

歳と共に、衰えてきてるとはいえ。

今だに、走ってる電車の中の人が見えますし。数を数えられますから。


その方、本当に打つの速いのですがね。見えるんです。

明らかに、なんらかの手順を踏んで。

BIGボーナスが始まるのを。

でも私、怖いので。

知らん顔してました。

並んで打つようなことは一切しないで。

そうなってしまう時は。

センチュリー21は打ちませんでした。


それで秋に入った頃でしょうかね。

休日の日に、朝からセンチュリー21を打ってまして。

当然、その方から離れた台で打ってました。

そしたら、後ろから肩をポンポンと叩かれまして。

誰?何?と振り返りましたら。

その方で。

「にいちゃん、ちょっと」と。

外に連れて行かれました。

ヤバっ!ヤバい!

とヒヤヒヤでした。


その方、タバコに火をつけ、ふぅ〜と一呼吸おいて。

開口一番

「お前、見てたんだろ?」て。

私、ヤバい!もう隠せない!誤魔化せん!と思いまして。

「はい」と答えました。

その方、少し考えてるような感じで、それから間をおいて、

「にいちゃん、タバコ恵んでくれんか」と言ってきまして。

私、タバコ吸いませんから。

そのまま目の前にあるタバコ屋に行き、セブンスターをワンカートンを買って、渡しました。

そしたら、満足そうな顔で。

ニコっとして。

「ヨシ!仕方ねぇ!お前だけだわ、バレたのは」

「お前にも教えてやる!お前の名前は!」

と聞かれまして。

「◎◎です」と答えたら。

「下の名は!」と聞かれて。

「△△です」と答えて。

そしたら、その方、

「ヨシ!△△!俺はAだ!今から教えてやる!」

「ただし、条件がある。他の店では絶対にやるな。殺されるぞ。俺のいる時だけにしろ。やる時は俺が合図してやる。分かったな。必ず守れ。殺されるぞ。お前の目押しが上手いのは見てて分かってる。すぐに出来る」と言われまして。

もう問答無用で私「はい!」しか答えようがなく。

そのまま、店に戻り。

隣に座らされて、普通に打ちながら。

店の隙を見ながら、仕込まれてしまったんです。

後に「世界全滅打法」と呼ばれる、セット打法を。


私、仕事してますからね。

店に来るのは夜なわけですよ。

で、Aさんとは離れて座るんです。

そうすると、目で合図してくるんですよ。「今やれ!」と。

その間が絶妙で。

絶対にバレないんです。

仕事帰りの夜だけで、多くて3回。

休みの日で、朝から打ってる時でも。

多くて5回。

Aさんは10回は決めてましたね。

このAさんの慎重さが、長きに渡りこのセットで食えてた理由でしょうね。

決して、バシバシセットを決めてぶっこ抜くようなことは、してませんでしたね。


このAさん、や◎ざ、かと思いましたが。違いました。

バリバリの攻略プロでした。

でも、この時点で、このセット打法を知っていたんですから。

きっと、普通の人ではなかったのでしょう。

私のことは楽しそうに聞いてくるんですが。

自分のことは一切喋らない方でした。

住まいも、大方の場所しか教えてくれませんでした。

私、何故か、昔も今も、こういう方に好かれる傾向がありまして。

自分でもわかりません。

何故なんだろう。

私はこのAさんに、色々なことを教わりました。

一番大きかったことは。

台の制御を見抜く目、でしょうか。

それは後の、4号機◎◎◎キー◎◎◎ルで、役に立つことになります。

マナーも教わりました。

今だに守っていること。

「箱は抱えて打つな」

カッコ悪いし、目立つからですね。

「コインを箱に移すのに音を立てるな」私、本当、静かにやりますよ。

ドル箱シェイカーなど、以ての外。

昔は「うるせぇ!」と怒鳴られましたからね。


それからしばらくして、その年の12月。

Aさんが言い出しました。

「このセットも、もうすぐに知れ渡る。それまでに荒稼ぎしてくるわ」と。

言い残して。

どこかに旅だちました。

それから今まで、Aさんと会えません。

どこで何をしてるのでしょうか。


そして年が明け。1991年1月(平成3年)「アメリカーナマグナム」がリリースされます。

そうです、3号機のこの「アメリカーナマグナム」が、他の店に、確かにありましたから。

ですから、2月頃でしょうか。

そのときがやってきました。

最後の日です。

その日、私は朝から並んでいました。

その前に、明らかに毛色の違う方々が陣取ってます。

全く見たことの無い方々です。

開店と同時に、「センチュリー21」の島を占拠。

そして、1時間もしないうちに、お祭り騒ぎ。

打ってる人は明らかに、や◎ざと思われる、その筋の方々。

そうして、次の日には島閉鎖。

私の打ってた店の「センチュリー21」は、全撤去となりました。

改修して、使い続けた店もあったそうですが。

私は二度と打つことは無かったです。

私はビビりなので。

Aさんがいないときには、一度たりともセットをしませんでした。

普通にヒラで打って、楽しんでました。

それもあの最後の騒動で終わりました。


私の中で封印してたこの事実。

もう私も歳をとりましたし。

30年経ちましたから。

心のどこかにあった、嫌な気持ち。

もう時効かな、と。

やっと思えるようになりましたのでね。

書いてみました。

私はパチスロで食うプロにはなれません。

ドライに考えられないし。

これを自慢するなど、到底、出来ませんから。

私の性格では。

過去にこういうことがあった。

それだけ、ですね。

「センチュリー21」大好きな台でした。

でも、大好きな気持ちと、複雑な気持ちが入り混じる、私の一番の思い出の台でした。


長々と失礼いたしました。

今日はこの辺りで。

ありがとうございました。

ではまた、次回。

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