ゴルゴおじさんの独り言

50歳の方が昔を懐かしむためのブログ

あの日の出来事

こんばんは。

ゴルゴ103でございます。

今日は、「あの日の出来事」ということで。

思い出話を1つ。

前回のマジックカーペットで思い出したので。

ではどうぞ。


みなさま、

1989年1月7日て、何があった日か、ご存知ですか?

といいますか、この日に何があったか、覚えてますか?


そうです、

昭和天皇が崩御された、と発表された日ですね。

この日、こんな日に、パチンコを打ってしまった、罰当たりな18歳の男が経験したエピソードです。

まあ、私のことなんですけど。


当時、私、まだ18歳。

美容専門学校に通う学生でした。

毎日、学校帰りにパチンコ屋で格闘する日々を送ってました。

学校が休みの日は、朝からパチンコ屋へ。

バイトすりゃいいのですが。

専門学校は時間が長く、色々な居残りもあって。バイト出来ないのですよ。

だから、帰宅時の帰宅路の、パチンコは真剣そのものでした。

小遣い稼ぎの為に。


でも、夏休みや冬休みは、バイトに明け暮れます。

冬休みのバイトが1月6日に終了し。

たんまりとバイト代をもらい。

さあ、明日だけ(7日土曜日)は、朝からパチンコ打つぞ!と意気込んでいました。9日から、学校が始まりますから。


当時の状況を説明しますと。

まあ、同世代の方は覚えてると思いますが。

前年から、昭和天皇が入院されてて。

世の中全てが自粛自粛の嵐。

というか、台風でしたよね。

私の家族の好きなドラゴンズ(私はそんなに好きではない)も、セリーグ優勝してたのに。ビールかけも、パレードも、セールもやらない。

そんな状況でした。

あっ!今のコロナ自粛と似てはいるな。

昭和天皇がいつ亡くなるのか。

誰もが口にしないけど、誰もがそう考えていたとき。


年が明け、1月7日の朝、崩御の発表がありました。

「亡くなったんだ」もうすぐ19歳になる、18歳の私でさえ、どうなるの?

と感じました。

が、そこは18歳の小僧です。

今日しかパチンコを打てない、という欲求には勝てません。

10時開店に向け、早めに出かけて行きました。

年明け早々とはいえ、三が日は過ぎています。

向かう間、歩いてる最中も、電車の中も、誰もいません。

パチンコ屋に着いて、並んでる間も。

いつもは開店前に結構な人数が並ぶ店なのに、私、1人。

「ハテ?誰も来ないぞ?店休みか?」

結局、私1人だけで、店はオープンしました。

入店する私。

それと同時に、超強烈な違和感が。

「あれ?音楽が鳴ってない」

この当時は、開店時は「軍艦マーチ」と決まってます。

それと同時に「いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!」のダミ声のマイクパフォーマンスが当たり前。

「えっ!マイクで喋ってない!」

そうなんです。

音楽一切無し。マイクパフォーマンス一切無し。無音の店の中。聞こえるのは、台の音だけ。


結局、私、閉店近くまでやりましたよ。

ビッグシューター2台、マジックカーペット1台、計3台を打ち止めにしました。

その間、一切、店内の音無し。

聞こえるのは、私の打っている台の音だけ。

マジックカーペットの音楽なんか、

店中に響き渡ってるし。

しかも、終日、私1人。

私以外の客、誰も来ませんでした。


計約3万円分の景品交換をするとき。

カウンターの、いつもは激怖い、パンチパーマで指が3本無い、恰幅の良い年配の店員さんが。

ニコニコしながら声かけてきて。

「にいちゃんしか来なかったな!」て。


誰もいない私1人しかいない、無音のパチンコ屋で打ったのは。

後にも先にもこのときだけでした。


この経験した人はそうはいないだろ。


長々と失礼いたしました。

今日もありがとうございました。

ではまた、次回。

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