たまには和歌の日を
こんばんは。
ゴルゴ103でございます。
今日は和歌の日。
万葉集から、恋愛の和歌をお届け。
我が背子と
二人見ませば
いくばくか
この降る雪の
嬉しからまし
⚪︎作者
光明皇后(こうみょうこうごう)
⚪︎現代語訳
夫のあなたと一緒に見れば、この美しい雪景色も嬉しいでしょうに。
あかねさす
紫草野(むらさきの)行き
標野(しめの)行き
野守は見ずや
君が袖振る
⚪︎作者
額田王(ぬかたのおおきみ)
⚪︎現代語訳
(あかねさす)紫草の咲く野を行き、標を張った野を行って、野守が見ているではないかしら。
あなたが袖をお振りになるのを。
あしひきの
山のしづくに
妹待つと
我立ち濡れぬ
山のしづくに
⚪︎作者
大津皇子(おおつのみこ)
⚪︎現代語訳
私は貴方を待って、あしひきの(枕詞)山の雫に濡れてしまいました。
我を待つと
君がぬれけむ
あしひきの
山のしづくに
ならましものを
⚪︎作者
石川郎女(いしかわのいらつめ)
⚪︎現代語訳
私を待って濡れたとおっしゃるその雫になって、貴方に寄り添いたかったです。
古(ふ)りにし
嫗(おみな)にしてや
かくばかり
恋に沈まむ
手童(たわらは)の如(ごと)
⚪︎作者
石川郎女
⚪︎現代語訳
年老いた私がこんなに深く貴方に恋して、まるで幼児のように恋にうつつをぬかしています。
なかなかに
黙(もだ)もあらまし
何すとか
相見そめけむ
遂げざらまくに
⚪︎作者
大伴家持(おおとものやかもち)
⚪︎現代語訳
最後まで添い遂げることができないのだったら、かえって恋をしないで黙っていればよかった。
☆人物紹介
⚪︎光明皇后(こうみょうこうごう)
701年(大宝元年)- 760年7月23日
(天平宝字4年6月7日)は、日本の第45代天皇・聖武天皇の皇后。
諱は安宿媛(あすかべひめ)。
正式な尊号は天平応真仁正皇太后
(てんぴょうおうしんにんしょうこうたいごう)。
藤原不比等と県犬養橘三千代の女子で、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。皇族以外から立后する先例を開いた。
⚪︎額田王(ぬかたのおおきみ)
生没年不詳。女性。
飛鳥時代の日本の皇族・歌人。
天武天皇の妃(一説に采女や巫女)。
額田王「万葉集」の表記が一般的であるが、額田女王、額田姫王「日本書紀」、額田部姫王「薬師寺縁起」とも記される。
⚪︎大津皇子(おおつのみこ)
天智天皇2年(663年) - 朱鳥元年10月3日(686年10月25日)。
飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇子。
母は天智天皇皇女の大田皇女。
同母姉に大来皇女。
妃は天智天皇皇女の山辺皇女。
⚪︎石川内命婦(いしかわのうちみょぶ)生没年不詳。奈良時代の女性。
大伴安麻呂の妻。
子に大伴坂上郎女、大伴稲公。
石川命婦(いしかわのみょうぶ)とも書く。
なお「万葉集」には、同一人物ともいわれる石川郎女という歌人がいるが定説を得ていない。
石川女郎(いしかわのいらつめ)、
大名児(おおなこ)とも書く。
⚪︎大伴家持(おおとものやかもち)
奈良時代の公卿・歌人。
大納言・大伴旅人の子。
官位は従三位・中納言。
三十六歌仙の一人。
小倉百人一首では中納言家持。
「万葉集」の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残し、延暦年間には中納言にまで昇った。
人物紹介だけで長くなってしまいました。
身分の高い方は、説明が大変だ。
(笑)
この中で言うと、大伴家持さん。
この人を調べたり、和歌を読んでるだけで一日中遊べる、すごい人です。
今日はこの辺りで。
ありがとうございました。
ではまた、次回。