旧要件時代から新要件時代へ
こんばんは。
ゴルゴ103でございます。
今日からまたパチンコのお話を。
まずは小難しく。
1991(平成3)年の国家公安委員会規則改正以降登場した機種を新要件機と呼び、それ以前の機種で1985(昭和60)年の風適法施行に伴い保通協による型式試験が行われて以降に登場した機種を旧要件機と呼ぶ。
(面倒臭いので、そのまま引用)
そうらしいです。
すごく事細かく書いてやろうと、意気込んでたんですがね。
何が変わったのか、調べても、ちゃんと出てこないんですよ。
いきなり挫折。
仕方ないので簡単に説明すれば。
まず、出玉の上限を2400個にした。
これによって、店毎に設定していた、
定量制での出玉が、出来なくされました。4000個定量とかね。
デジパチだろうと羽根モノだろうと、
1回の大当たりでの最大出玉は、約2400個、て事ですね。
更に、最大ラウンド数が、10ラウンドから16ラウンドに引き上げられた。
これ、良いことでもあるんですけれど。
これによって、10ラウンドの羽根モノが消えました。
私はこの時代の羽根モノが大好きでしたし。
私にとってのパチンコの基本中の基本でしたのでね。
羽根モノが当たらない化け物になりやがって。
投資額が増えに増えやがるし。
とても勝負出来なくなりました。
羽根モノを諦めて、一切打たなくなった原因ですね。
それから、釘曲げの禁止。
これによって、釘の調整でコントロールしていた、一発台が消えました。
あの、芸術的な釘、はもう見れなくなりました。
キューピットの釘なんか、今だにはっきりと覚えてますよ、私。
それくらい、個性的でしたからね。
おまけチャッカーの廃止。
私、旧要件時代に、デジパチを打ってないので。
映像を見る事しか出来ないのですがね。
これはどんな影響があったのか、良くわかりません。
それから、確率変動の許可。
これは、後々の進化には良い事だったのかな。
まあ、他にも細かな事があるのでしょうが。
私にとっては、なんと言っても、
「勝ち頭だった羽根モノを潰されて。デジパチ移行を迫られた」
規則改正であった、と言う事ですね。
1990年の10月に施行されて。
1991年の1月から新要件機が続々と登場していきます。
それに伴い、旧要件時代の古き良き台たちは、急速に姿を消していきます。
この1991年1月、スロットなら私。
Aさんが旅立ちゃって。
センチュリー21のセットをやらなくなって。
もうすぐ、世界全滅の騒動が起こる少し前になりますね。
そしてスロットは3号機時代に突入して行くわけですが。
パチンコは、保留玉連チャン機全盛時代に突入して行くのです。
スロットの2号機時代って、パチンコの旧要件時代末期と時期が重なってましてね。
その時代は、基本的には羽根モノで勝ち。
たまに、一発台。
更には、スロットでお金を積み上げて、みたいな感じでした。
スロットの3号機は正直、硬く勝てる代物ではありませんでしたから。
それでも、Aさんに教わった目で、穴を見つけては、勝ってましたけど。
それでも勝ち頭が完全にデジパチになった時、でしたね。
私が何故、勝ちに拘ってたのか、を告白しますと。
私、19歳の時から、1人暮らしをしてたんですよ。
インターンで美容院に入社してからね。
私の家、母子家庭でしたのでね。
歳の離れた年子の弟妹がいましたし。
さっさと家を出て、1人で自活してたんですね。
母親の負担を減らす為にね。
実家に居て、お金を入れる方法もあったんですが。
家に居れば結局、私にお金がかかりますから。
まあ、口悪く言えば、「口減し」の為に、家を出たんです。
たまたま、公団の単身用の部屋が当たったのもありまして。
昔の住宅整備公団、今のUR機構ですね。団地です。
昔は単身用ってのがありましてね。
当時で家賃が23000円。
6畳一間にDK付き。
風呂、トイレ付き。
もう十分でしたね。
本当に助かりました。
バスも頻繁にあって、通勤にも便利でしたし。
美容師の給料って、本当に最初は安いんですよ。
私、最初10万円でしたから。
それで、生きていかねばならない。
誰も頼れない。
ですから、パチンコとパチスロが、第2の収入源でしたから。
真剣だし、勝ちに拘ってたんですね。
美容師で驚くような給料を貰うのは、
まだ何年も後になります。
20歳で店長になったって、12万円くらいでしたからね。
今日はこの辺りで。
ありがとうございました。
次回から、基本的に、Twitterに挙げた順番に出していきます。
ではまた、次回。