ゴルゴおじさんの独り言

50歳の方が昔を懐かしむためのブログ

あの日の出来事

こんばんは。

ゴルゴ103でございます!

今日はまた「あの日の出来事」ということで。

私がパチンコ屋で経験したエピソードを紹介します。


30年以上にも渡り、長いことパチンコ屋さんに出入りしてますと。

まあ、色々なことを体験いたしますが。

2つお話を、書き連ねたいと思います。テーマは、

「パチンコ屋さんが潰れた日」。




第1話「通った店が無くなった日」


1995年の寒くなり始めた時期でしたかね。

なんで、11月とかでしょうか。


その当時に一番行くことが多かったパチンコ屋さんですね。

私の当時の実家から、約2キロちょっとのところにあった店で。

私の地元、東京のベッドタウンみたいなところですけど。

駅周辺は栄えてますよ。

賑やかです。

「東の渋谷」とか言われますしね。

でも、少し離れると、所詮は田舎です。

そう言うところにある、いわゆる

「郊外店」なんですけど。

この店が、当時としては、結構すごい店でして。

田舎ですから、広い敷地に広い駐車場があるんですが。

その当時に、すでに、スロット専門の別館があったんですよ。

パチンコがメインで、端にスロットが1列だけある、広い本館と。

その横に、スロットしかない、スロット専門の広い別館があったんです。

しかもね、まだ、3号機の時代から。

私、その店で、3号機の「コンチネンタル」と「コンチネンタル3」の新装開店を経験してますから。

間違いないです。

コンチは本館に、コンチ3は別館に、新装で導入された日のことを、今だに覚えてますのでね。

その頃までのパチンコ、スロットのほとんどを、この店で打ってるんじゃないかな。

例えば、コンチもそうですが。

ブラボーキングダムとか。

ほとんどこの店でのエピソードだったりします。


はい、それで1995年の11月ころ。

パチスロの世界はすでに4号機になっておりましたけれど。

クランキーコンドルも出てましたしね。

コンドルで稼ぎもしたんですが。

その日の休日は、あゝ、私まだ美容師でしたから、平日の休みの日ですね。

朝から「スーパーバニーガール」を打ちたくて。

朝、開店から入店して。

打ってたんです、「やっぱ、もうスーバニは渋いな!」とか、思いながらね。

この当時ですから、まだ、スロットは

1000円で50枚貸しの7枚交換。

70枚で1000円に交換ってことですね。

パチンコは4円貸し2.5円交換の時代です。

完全等価も増えてきてはいましたが。

この店は違いました。

だから、出てたのもありますが。

余談ですが。

その換金率の時代の方が、パチンコもスロットも、遊べたし、勝てたような気がするのは、私だけでしょうか?


それで渋いなと思いながらも、「やっぱスーバニ超楽し!」と打ってまして。

15時ころかな。

急に、外が騒がしくなります。

けたたましいサイレンの音を立てながら、何台ものパトカーが来る。

更には、救急車のサイレンも聞こえて。

でも、外のことですからね。

気にしないで打ってました。

そしたら店の中に、何人もの警察官と、刑事と思われる人が入ってきまして。

もう、店の中は騒然です。

普通の雰囲気じゃありません。

遊戯をストップさせられるようなことは、一切ありませんでしたが。

店の中もすごいんですが。

なんか外はもっとすごい感じ。

騒然とした雰囲気を感じます。


急に店内アナウンスが入りました。

「諸事情により、本日の営業は18時までと致します」それだけ。

他に説明はありません。

なんだかな〜!とか思いましたが。

仕方ありません。

気になりますけれども、いてもしょうがないですし。

出玉のキリも良かったし。

やめて帰ることにしました。

16時ころでしょうかね。

景品に交換して。

駐車場にある換金所に向かおうと外に出たら、びっくり!

警察官だらけで、換金所はロープで囲われ、近づけません。

誰か1人、その外で、お客たちに説明をしています。

私も聞きに行きましたら。

どうも、換金所が強盗に襲われたらしく。

その時の人は、刃物で刺されて、病院に運ばれ。

今、ワンボックスの車で臨時の換金所を用意してるから。

もう少し待ってくれと。

まあ、すごいことが外で起きてました。


そこからまたされること2時間。

やっと換金してもらいました。

12000円程度の勝ち金でしたけどね。


その日を最後に、この店は開くことがなくなりました。

何故かはわかりません。

換金所とパチンコ屋は、厳密には関係ないはずですが。

仕事帰りに寄っては、開いてるか毎日見たんですが。

1週間経っても、一向に開く気配がありません。

その次に寄ったとき、閉店の旨を記した紙が貼られていました。


私の20代前半を過ごした、思い出の店が無くなったときでした。

その日は、地元で、大好きなスーパーバニーガールが打てなくなった日でもありました。


そのあと違う店がそこに入り。

今でもそこの場所には、パチンコ屋があります。

2つあった建物は、壊され、ギリシャ風の大きな建物に作り変えられ。

昔の面影はありません。

その新しい店は、どうも相性が悪く。

初代のサンダーVが残ってた頃までは、行くこともありましたが。

今では、そこに行くこともなくなりました。



今日はこの辺りで。

次の第2話

「私が原因で店が潰れた日」は10日後に。

ありがとうございました。

ではまた、次回。

×

非ログインユーザーとして返信する