こんにちは。
調子に乗って即更新。
ブログを開設時の素人が陥る罠だなこりゃ。
ゴルゴ103です。
記念すべき第2回目のお話は。
毎回、記念すんのか、私。
人生で初めて打ったパチンコ台、
ビッグシューターです。
パチンコって、1990年10月より以前と以降で、まるで違うのですが。
もっと厳密に言うと、規定が施行されたのがこのときになりますので。
少し猶予があり、1991年1月から出た台、になります。
以前を旧要件、以降を新要件といいましてね。
一発台の禁止、釘曲げの禁止、オマケ電チューの禁止、連チャンデジパチの大当たり確率の上限は240分の1、ノーマルデジパチの大当たり確率の上限は
200分の1、出玉の上限は約2400個、(賞球15の場合)定量制の禁止、などなど。色々なところがガラっと変わったんです。
その前の旧要件時代の平和の羽根モノになります。
初年度が1986年てことですから。私が高校生のときに打ったものは、初代だと思います。セル盤の違う、V入賞率の違う3種類があるみたいなんですが。どれを打ったのかわかりません。
この時代の羽根モノは、最高継続8ラウンドで10カウントなので。賞球13個ですから、フル完走なら約1040個になります。
宇宙遊泳をモチーフにした台でした。
役物の真ん中に、穴の空いた回転体が回ってまして。V入賞の黄金ルートは、羽根に玉が拾われて入ったあと、回転体の穴を抜けて、Vに入るルート。イレギュラーとして、回転体の穴を通らずにラッキーにVに入る、2つのV入賞パターンがありました。
大当たりの最中は、役物の左右に玉を貯留。解除時は回転体の穴がVに向けて真っ直ぐになりストップ、そこに貯留玉を解放し、V入賞を促すようになってました。でも、この台。異常にクセの強い台でして。台よっては黄金ルートでも左右逸れて外すことがありました。そのクセを見切るのがかなり重要で。クセの良い台だとそれこそ、打ち止め(当時は4000個。4円貸しの2.5円交換、約1万円)まで一直線で短時間に行く台でした。
クセとか、高校生のときに考えて見てるんですから。マトモな大人にはなりませんて。
当時の私の勝ち頭の台でした、この台は。
旧要件時代に一番打ったパチンコ台ですね。
V入賞時のファンファーレも、大当たり中の音も、今だに口で言えます。再現出来ます。
100円玉10枚を握りしめて、打っていたあの時代の羽根モノ。本当に懐かしいですね。
では、また次回。