実は私、相撲の新弟子検査を受けた事があります
こんばんは。
ゴルゴ103でございます。
今日は綱取物語を。
平和の新要件機のデジパチになります。1993年に登場。
モード式連チャン機です。
平和の「物語シリーズ」の第3弾になるのかな?
相撲がモチーフの台です。
スペックの紹介。
大当たり確率約1/247。
出玉約2300個。
賞球7and15。
16ラウンド10カウント。
連チャンの仕組み。
まず、モードは3つ。
天国モード、通常モード、地獄モード。
朝イチ電源オン状態では、必ず通常モードからスタート。
出目は「十両・金星・小結」。
大当たり時に必ず通常モードに移行し、それからアタッカー内のVゾーンに4個連続入賞毎に、モード移行抽選を行います。
モード移行の乱数は6つありまして。
その振り分けは、
3/6で天国モード
(大当たり確率約1/37)
2/6で通常モード
(大当たり確率約1/247)
1/6で地獄モード
(大当たり確率約1/988)になります。
ただ、この方式のモード移行は通常モードと地獄モードだけでして。
天国モード中の大当たりは、1ラウンド目のアタッカーが開放した瞬間モード移行してしまうので、連チャンを促進させるようなことは出来ないようになってます。
こんな感じで、天国、通常、地獄を行き来して、数珠繋ぎ連チャンを起こさせるわけですね。
特に難しい事はありません。
リーチの説明。
液晶絵柄は正直チープです。
この台はリーチアクションとして、当時では珍しい「スーパーリーチ」を採用した台でした。
左・中と止まりノーマルリーチがかかり、右が一旦外れ停止した後、軍配をモチーフとした絵柄が「のこった、のこった」と回転して期待を煽りました。
またこの台は、ハズレリーチの絵柄に偏りがありまして。
「横綱」や「五」などのリーチがかかりやすい反面、「大関」や「七」などのリーチはかかりにくくなってました。
大当たりの絵柄は全てが均等に選ばれるので、結果的に絵柄によってリーチの信頼度が異なるという特徴がありました。
この当時にパチンコを打っていた方ならみな知っている事ですが。
一応、知らない方のために説明しますと。
こういう仕様の台ですから。
朝イチから打つのがお得になりますよね。
もし運良く連チャンに入れば、明らかに当たらなくなるまで打って、朝イチ台に移動、が一番の攻略法になりますよね。
どんなに連チャンしてても、いずれは地獄モードに落ちてしまいますから。
そうなると、もう誰も打たないわけですよ。
ですからこの台、朝イチは盛況、午後には閑古鳥、ていう現象が起きる台でした。
そのためにこの台は、定刻に電源をリセットする店が結構ありました。
だから私は、店に拘って打ってみたんですね。
ラッキーナンバー制ではなく、終日無制限。
15時と19時に電源リセット。
持ち玉遊戯中ならば、リセットするかしないかを選択出来る。
こういう超好条件ルールの店を見つけましてね。
その分、釘は渋めなんですが。
打てないほどではない。
それよりも、有り余る恩恵。
そこで、攻めに攻めた結果が、
20戦0勝20敗。
最高3連チャン。
しかも微妙な数珠連。
この台、天国と通常の大当たり確率が、そんなに高くないわけですよ。
それが異常に頭を悩ませるんです。
もうコテンパンのコテンコテン。
本当、一度も勝てなかった。
俺は、モード式はダメなんだ!と思い知らされた台ですね。
マジに、相撲が嫌いになりかけましたから。
私、上書きタイプの保留玉連チャン機には、滅法強くて、部類の引きを炸裂させんのに。
本当、負けなかったのに。
憎っくき!綱取物語!
未だに恨んでる1台です(笑)
タイトルの説明をしますと。
実は私、中学3年生の時に、相撲取りになるための新弟子検査を受けてるんですね。
私、もう子供の頃から相撲が大好きで。
私の地元出身の「麒麟児」が大好きだったんです。
小学4年生の時、生死に関わる大病をしまして。
ある病院に入院してましたら。
その病院に麒麟児が来たんですね。
小学4年生で中学生に間違われてた私は。
結構、身体も大きかったんですが。
病気でふらふらとはいえ、そのデカい私を。
片手1本の腕で抱えてくれたんです。
元々、大好きですからね、もうゾッコンになりまして。
俺は絶対に相撲取りになる、と。
しかし、中学生になって身長がパッタリと伸びなくなってしまいまして。
171cm。
この当時、相撲取りになるには173cm以上ないとダメだったんです。
でも諦められない。
ですから私、相撲部屋に1人で直接出向いて、直談判したんです。
当時、私の地元に相撲部屋がありまして。
清国って言う方が作った部屋だったんですがね。
私は清国さんの現役時代を全く見た事がないのですが。
自転車で行ける範囲だったんです。
もう、本当に良くしてくれまして。
どうしたって、検査は受からないんです。
身長が173cmを超えたのは、高校生の後半ですから。
母親に電話をしてくれて。
検査まであずかるから、と。
それから約2週間、もう、稽古付けてくれるし、食事も食わしてくれるんですよ。
ちゃんこ鍋ですよ!
稽古が終わった後に一緒に食わせてくれたんです。
もう最高に幸せでしたね。
私、父親が中学2年生の2月に死んでましてね。
貧乏な上に、進路に悩んでましたから。
それで検査を受けて、晴れて落ちて諦めたと。
私、身体が柔らかかったんで。
最初から股割りが出来たんですよ。
◎◎よ、お前、向いてるぞ、言われました。
本当に感謝しております。
長くなりました。
今日はこの辺りで。
ありがとうございました。
ではまた、次回。