ゴルゴおじさんの独り言

50歳の方が昔を懐かしむためのブログ

たまには「和歌」な日を

こんばんは。

ゴルゴ103でございます。

今日はパチンコパチスロのお話ではありません。

たまには「和歌」なお話を。


私、なんの取り柄もない、ただのおっさんですけど。

「和歌」が大好きでして。

自分で和歌を作って詠むことは出来ないんですよ。

まあ、正直言えば、たまに作ってみるんですけど。

どうにもならない、駄作しか詠めませんで。

上手く作れないんです。

そう言う才能はまるで無いんです。

ですから、昔の和歌を読むだけなんですが。


この「和歌」て形式が、もうなんて言いますか。

堪らなく日本人で、日本語なわけですよ。

短歌じゃ、短過ぎるし。

漢詩じゃ、漢字だけで味気ないんですね。

この、「五・七・五・七・七」て言う、微妙な長さで微妙な短さの中に。

たった31文字の中に、気持ちを込める、日本人の姿が堪らないんですね。

まあ、そんなわけで。

今日は私の大好きな和歌を3つご紹介。

はっきり言って、超有名な和歌です。

誰でも知ってるような、皆さんが知ってるような和歌です。

ただ、この3つの和歌が。

何回読んでも、何回その季節を迎えても、堪らない魅力があるんですよ。

もう、日本語のマジックですよね。



久方の 

光のどけき 

春の日に

しづ心なく 

花の散るらむ 紀友則


現代語訳

陽光ものどかなこの春の日なのに、

なぜ落ち着いた心もなく、

桜の花は散り急いでいるのでしょう。


有名な和歌ですよね。

私が一番好きな和歌です。

桜の季節、桜が満開になって散り始めた時に、思わず口ずさんでしまう和歌です。


紀友則さんのご紹介。

紀貫之の従兄弟。

古今集撰者の一人。

古今集には、46首入集している。

三十六歌仙の一人。

歌の道では 紀貫之の先輩にあたる。

延喜4年(904年)に、大内記(だいないき)に昇進している。


この紀友則さん。

一種のいわゆる天才です。

他にも堪らない和歌を沢山詠んでますよ。



願わくは

花の下にて

春死なん

その如月の

望月の頃 西行


現代語訳

願うことには、春の満開の桜の下で死にたいものだ。

それも(釈迦が入滅したとされている)陰暦の2月15日の満月の頃に。


この和歌も有名ですね。

もう男として、堪らん歌です。

私の「辞世の句」にして欲しい歌ですね。

この西行さん、生き方が堪らないんですよ。

本名は佐藤義清 (さとうのりきよ)と言いまして。

名門武家出身で武士をやってたんですが。

23歳の頃、突然、出家しちまいまして。

以降、旅と和歌に生きるんですね。

言わば、文学に生きたわけです。

「その如月の望月の頃」と言うのは、「釈迦入滅の日、陰暦2月15日」を表していまして。

その日に死にたい、と願って。

実際に、陰暦2月16日に死ぬんですね。

もう、何もかもがカッコいい。



瀬を早み

岩にせかるる

滝川の

われてもすゑに

逢はむとぞ思ふ 崇徳院


現代語訳

川の浅い所は流れが速いので、岩にせき止められる急流が二つに分かれても最後には一つになるように、あの人といつかは一緒になろうと思うのだ。


この和歌も有名な歌です。

でも、この歌は前2つの歌に比べると、少しマニア向けではあります。

この歌、一般的には、恋愛の歌、恋の歌として考えられております。

私も、熟女を口説く時に、必ず使います(笑)

しかし、崇徳院と言う人物を考えてみると。

全く違った歌になります。

自分の境遇を歌った歌ですね。


この崇徳院さん。

名前から分かるように、天皇さんです。

しかし、政争に巻き込まれ、利用されて、中央に戻る事なく亡くなった、悲運の天皇さんです。

源平の争いに巻き込まれ、幼くして入水した安徳天皇の例もありますが。

それ以上に、悲運の天皇さんです。

詳しくはGoogle先生にお聞きいただきたいのですが。

しかも、この崇徳院。

日本3大怨霊の1人です。

もう2人は、菅原道真と平将門ですが。

もうこの2人と比べものにならないほどの、怨霊中の怨霊。

まさに、日本における

「キングオブ怨霊」です。

昭和天皇や平成天皇も、鎮魂に讃岐を訪れてるくらいですから。


この崇徳院。

また、素敵な和歌を残してます。

才能のある天皇だったのは間違いないです。

ただ、政治的センスがあったのか、は分かりませんが。

調べたい意欲を掻き立てられる人物です。

実際に私は、崇徳院に触れたくて、香川県に行きましたのでね。

興味のある方は、見てみて下さい。


今日はこの辺りで。

ありがとうございました。

ではまた、次回。

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